私は池上徹さんの本が大好きで、8割とまではいかないが、最初の方は本屋に行って新刊が出るのを楽しみにしていた。 そのなかでもオススメは「宗教がわかれば世界がわかる」である。 この本が著者のベストなのでは? とすら思えるほど何回も読み返した。 宗教とは縁遠い日本人だからこそ、敬遠しがちな題名だが、内容は非常にわかりやすい。 例えば、「インドでIT企業が強いのはなぜ?」 私を含む多くの方が、インド人は数学に強いから、や、99×99までの計算が暗算できるから、と思いがちだが全く違う。 氏によると、「カースト制度」によってインドでは親の職業を必ず継がないといけない決まりがあるが、それでは一生貧乏で食っていけない。 新しい職業である、インターネットの世界にはそのカースト制度が通用しないため、貧乏脱出のためみんなが勉強して企業に競ってはいるからだ。 優秀な人材がIT企業に集まりやすい、ということになる。

さて、私は今、本を執筆している。 目的は非常にわかりやすい心エコーの本、だ。 だれが読んでも理解できる、という実戦向きの本を書くために四苦八苦している。 本を書くにはやはり出版社からの制限もあるし、「私らしさ」をだすために、知っている人はあまりいないかもしれないが、物語調で、しかも文章にしかけを作っている。 難しい本を書くのは結構簡単だと思う。 しかし誰が読んでも、なるほど、と初学者からある一定の、さらにいえばエキスパートの方でも気づかなかったことまで書こうと思っているから難しい。 私はおそらく、急性心筋梗塞の治療直後、48時間後、1週間後、3ヶ月後、1年後のエコーと右室カテのデータを世界で一番多く持っている。 特に治療直後のデータで病院内死亡率を回避するための因子、は私の「甲」の学位論文となった。 全例余すことなく、24時間365日(閏年は366日)、夏休みも半分にしてデータをどんな夜中でもとりまくった。 最終的にはICUの看護師がエコー機器を準備してくれるまでになった。 その経験や、日本でも超有名な心音、心エコー図に詳しい上司の先生とマンツーマンで1日8人心エコーをしていた。 そこで言われたことは全てメモした。 その経験を活かしたい、と思う次第である。

宮本武蔵の「五輪書」に記載されている言葉だそうです。 勝負事には、相手の体だけでなく、「心」も観る必要がある、という内容です。

これは医療にも発展させられる言葉だと思います。 病気を治すには、その方の病気だけでなく、その方が「どのように思って」治療をうけるか、が大事だと思います。

例えば、私の造語に、「納得できない検査は、あまり意味がない場合が多い」 というものがあります(もちろん急性心筋梗塞などで、治療をすぐにしないと死んでしまう場合を除いて、です) 医療の技術はもちろんですが、患者さんが、「それをしてもメリットがないだろう」と思っていると、検査自体が意味がなく、患者さんはさせられた、と思うでしょう。 それが医学的に正しくても。

なので、患者さんに納得してもらえるように、昼夜新しい知識を取り入れて、複雑化していく医療に対応するように心がけるべきだと思っています。 説明が上手ということは、医療の知識が浅くなく深いことを示すからです。 ガイドラインにこう書いていあるから、だけでは納得されない方もいるでしょう、なぜそういうことになっているのか、私自身も説明して欲しいと思うからです。

医療は数字だけでは語れません。 将来を見越して、良いことはどんどん取り入れるべきだし、医療現場のことを知らない人に、善意であっても間違った説明を聞かされることは避けるべき、という意味もあるのではないか、と「観見二眼」から受け取る次第です。 私はマイナス思考で最悪の場合を想定して医療を行なっています。 先行投資、というビジネスでも言われることは、医学では、古びた医療を行い続けることが間違っている、と思うので、他人の意見を聞くことは重要だと思いますが、自分で吟味して、間違ったことは取り入れません。 医療現場で瞬間瞬間に起こっている事象に数字は全くあてになりません。 医療をビジネスとして考えることはひょっとすると重要かもしれないし、考える人・事は大事かもしれませんが、私自身のスタンスは「医療はビジネスではない」と思っているからです。 いかにいい治療をうけてもらうか、その環境作りが大事と考えています(これを理解してもらえない方がおられるのも事実です。 医師でもいますし、医療業界に疎い方に多い傾向です)

私は研修医になった頃からメモ魔になり、小さいメモを常に持参し、その数は100個を越した。
パンチで穴を開け、記念に持っている。 大事な部分は、まとめてプリントにしたり、クラウドに残したりしている。

紹介状の書き方を4年目で詳しく、厳しく教わった内容であるが、自分のことを、「小生」「小職」と書くな、とあった。 これは、自分の立場が偉いことが前提で、他人とやり取りする場合に使うため、相手を不快な思いにさせることがあるからである。

最近、企業のお偉いさんかどうか知らないが、とある人物から手紙とメールをいただいた。 小職が悪かったことを真摯に受け止めるので、ご理解いただきたい、という内容である。

これはどうかと思った。 この人は知らず知らずのうちに、自分が偉い、と言っているのを誰からも注意されずにきた人ではないか? 疑問に思ったことはないのか? と感じた次第だった。

メモを書くことは、まず書く時点で覚える、そして後から見直せる、そしてまとめられる、良いことばかりである。 疑問に思ったことやひらめきも1日経てば「あれっ」と忘れることもあるからだ。

まぁ厳しく指導されていたので、メモ魔で取る必要もなかった事例では私にはあったことだが、「小職」の方は自然とそういう性格になったのか、無知なのか、そういう社風なのか、一度も疑問に思わず、他人の真似をしただけなのか、ということがわかる。

文面からも、その人の性格はわかるものである。

CT機器などがないむかしは3ヶ月間、いろんな検査をしても熱の原因が分からない、という状態を不明熱、と定義していました。 時代はかわり、CT検査、エコー検査機器の向上などで、不明熱は「いろんな検査を2週間程度しても、熱源がわからない」という定義に変わっています。

疑うべきは、結核、心内膜炎(心エコーでわかります)、腹腔内膿瘍(腹部エコーやCT検査でわかります)の3つから疑います。 実際に3週間わからなかった患者様で、エコー検査をして、「脾臓」に膿瘍があったことがあり、脾臓摘出で治癒しました。 ほっておけば、細菌が血液中に繁殖し、死に至る可能性もあったわけです。 もちろん脾臓はリンパ節の一種ですから、今後は感染症により注意していかなくてはいけません。

その他、疑うべき疾患はたくさんありますが、特に結核については、常に考慮しなくてはいけません。

他人に移す病気であり、とある抗生剤を投与してしまうとあとで検査をしても検査結果が陰性となってしまうからです。 簡単にいうと、結核を意識しない抗生剤投与は患者さんのためだけでなく、公衆衛生上悪い結果を高知県に及ぼす、ということです。

いわゆる裏方に徹する人がどれだけ優秀か、にもかかってくる。 国立病院機構にいた頃、我々医師の給料は相場としては相当安く、時給にすると500円は確実に下回る、いや200円くらいなんじゃ、と思う日もあった。 まぁ使う暇もないのだが、、、

すごく数字にも強く、世間も知っている先輩医師がいた。 国立病院にもよるだろうが、裏方に回ってくる人は優秀な人もいれば、公務員にとって病院勤務は自分で稼ぐことをしなくていいのでとりあえず左遷させられた人もいる、というのである。 なぜなら、国立病院の裏方(まぁ医師もふくめ全てそうなのだが、医療従事者は実際に転勤もすることがあるので少し事情は別である)は自分が働かなくても医師や看護師が働いた金額で評価される人たちである。 天下りでその病院の裏方トップに立っている人もいた。 そういう人は謙虚さがない。 それを通り越して愚かだな、と思わせる場合もある。 人一人を大学病院ばりの手厚い医療で救った時のことである。患者さんにしてみればだいたいそういった生き死にの関わる病気で運ばれてきた場合、だいたいが高額医療になり、金額は変わらないが、病院の持ち出しが多い(つまり国に請求できない)が多くなった治療をしたことがあった。 使ってもいい最高の薬だが、使いすぎると国はお金を出さないよ、という訳である。 結局、そういうのを決めるのも医師であるので、こういう場合で仕方がなかったと書類を提出すれば大丈夫な場合が9割であるし、なにせ人の命がかかっているのだ。 そういった現場の事情など知らず、医師と裏方が集まる会で、私を例にして、「ここは大学病院じゃないんだからね」と発言したことに対して、先輩医師が、「じゃあ死んでも良かったのか? そもそも我々医師が働くことによってこの病院は成り立っている。 そこから給料をもらっていることを忘れるな。 あんたは公務員だから分からないだろうが、一般病院では当たり前のことで、現場の人間に対していう言葉ではない!」と気持ちを代弁してくれたのを覚えている。
それぞれの立場を知りながら、わきまえながら仕事をしないと、いけない。 私は、善通寺病院に赴任したときに患者さんが私の外来にくるのは、なにも私を求めているのではない、この大きな病院だから来るのだ、と思って働いていた。 そういう考えになったのは、私が研修医の途中で、実家の診療所で父親と一緒に2年間働いたからだ。 「若先生」と言ってはくれるが、患者さんは私の親父を頼っているのである。 その後、技術的な習得は他の医師よりもスタートは遅れたが、朝から次の日の朝までを働く根性論で、心配していた技術の習得は他の同じ大学をでた医師を大きく追い抜いた。 むしろ遅れを取った時に、親父の背中をみて教わったことの方が大きかった。 今も医師ができない仕事をする、のはいいが、調子にのるのはどうかと思う裏方の人に、勉強不足なまま適当な発言をしないこと、を説いた。 医療は数宇だけでは計れないのである。 そんなことも分かってない人が優秀な訳はない。 結果を残すことよりもその過程を重んじて欲しいと、一医療人として思う。