出版社でもあり、IT企業でもある、SCICUS(サイカス)社から2013年6月に「恋する心エコー(メルクマール編)」が出版され、一部が留学先のフィラデルフィアに送られてきたのを覚えています。7年ほどはアマゾンの循環器、心エコー・心音 部門で1位をとることが多かった作品です。題名は一応私が考えたのですが、他にも「線上の我ら」などG線上のアリアをもじった題名も考えていました。 数個を編集部に提出して、編集部の方で「恋する〜」に決まったと聞きました。 ハラヤヒロさんという漫画家の先生に表紙や挿絵を描いてもらい、ライトノベル調のストーリーで書く医学書は間違いなく世界初だったと思います(その証拠に日本グラフィック・メディスン学会から手塚治虫先生が1970年描いた、日本の初めての医学漫画「きりひと讃歌(ブラックジャックじゃないんですね)」から50年が経つけども、漫画ではないが、「恋する〜」が初めての医学書、という位置づけになるかもしれない(実は講演も頼まれたのですが、荷が重く断りました)と伝えられた経緯もあります。
いろんな意味で珍しい医学書なのですが、この本は4つの線(図)で心機能を理解できる、という売りがあります。 そして第一の線(図)には特にこだわり、というか、実臨床に如何に役に立つか、を考え、線を何本か書き、それぞれに、EF60%、45%, 30%と傾きをEFにしたのが世界初なのです。 これはかなり単純化したものだ、我ながら思うと同時に、今の時代でいうと効率がいい、と言える覚え方だな、とも思います。 今でこそ、キャッチーすぎる名前の医学書や、萌え系も絵を載せる医学書がありますが、「またパクられてるな」と思いながらも、進化しないな、とも思っています。 YouTubeでも学べる時代になりましたが、紙の本はまた違ったものだと思っています。

さて盆休みですが、私は遅れに遅れていた「心臓リハビリテーション」の医学書の執筆を済ませました。 医学出版社が3冊目より変わり、一人で書いたものでは4冊目となります(50人くらいで書いた、心臓リハビリテーション Q and Aには参加させていただいています)。 こういった医学書が本当に発売されるかどうか、は脱稿してもわからない(売れると判断されるかどうか、会議で決まるものです)のですが、難しい本で、少しぼかされているところを、本音で書いた本、であることは間違いありません。 間違いがあってはいけないので最新の注意を払いながら、また私見が多くはいっている、という注釈つきですが、一仕事終わった、という気持ちです。

本を書いた、ということは、それなりに勉強も必要です。 効率的な実臨床の医療の勉強法は実際には医師一人一人が持っているはずで、私にもあります(心臓超音波については3冊目に”本音”で書いています)。 それを伝える力も必要ですが、習得度や熟練度(経験値)によって変わってくると思います。 多くのことをこれからも学びたい、と思っていますが、時間的にも習得度と熟練度が求められるため、47歳の年齢のため、範囲を絞っていかないといけない、それは自分で決めることではなく、必要とされることにしよう、と思っています。

地域に根ざす、という言葉は辞書を引かなくてもネットでそれなりの言葉が出てきます。 特定の団体がその地域を重点的に活動を行う、というのが私のなかでは一番しっくりと来ました。

その意味なら当院が目指している医療は半分はあっていて、半分は違う医療をしているな、とも以前から思っています。

地域に根ざした医療としての取り組みは、

「半径2.5kmの知識」という論文から、住所と年齢が分かれば、肺炎(と膀胱炎)の原因菌の感受性(効く薬、効かない薬)が分かる、という私の知識です。 亀田総合病院の真似をして執筆した論文ですが、四国でこのような論文を書いたのは私が初とその昔厚労省の感染対策委員になった後輩から聞きました。 最近だと、2024年夏は「熱中症や脱水になるエアコンの寝る時の温度は28度以上でなりやすい」という統計です。 エアコンの性能や湿度、扇風機の有無、水分補給の度合いは無視して、ですが、27度以下にしてください、と言えます。 あとは普通に来られる患者さんとは顔見知りになるため、またカルテも(電子カルテですが)情報が増えてきて、どのような治療が適しているか、などが分かります。 こういったことは地域に根ざしていると言えると思います。

地域に根ざしていない、というのは、地域的には馴染みのない予約制を用いているところや、どんな方にも私が考えるその時の最高の医療の提案をさせてもらう、という点はどの病院やクリニックでも同じでしょう。 またこれは福田心臓消化器内科の先生方の助けがあってのことですが、多くの学会への参加、そこでの発表、また学会自体の開催、論文や医学本、医学雑誌のコラムの執筆など(そういえば心臓リハビリテーションのことで、BSテレビで木佐アナウンサーと15分の番組に出演させていただいたこともあります)、と、学術的な面に力を入れているのは最近のクリニックでもよく見かけるスタイルかもしれません(私が真似をしたわけでもなく、他の人が真似をしたわけでもなく、同じようなスタイルで開業する人が増えてきた印象です)。

学術的な面をおろそかにすると、研究会で聞いたことだけ、を実践する、となり、間違っているかどうかの吟味がなされない医療、となることが私自身は嫌だ、と思っています。 熟孝された結果の治療を自分が提案してほしいから、今のようなスタイルになっているのだと思います。

当院では「不整脈があった、なかった」だけではなく、どのような不整脈があったか、将来のリスクはないか、に加え、甲状腺疾患、睡眠時無呼吸症候群、また器質的心疾患(弁膜症や心不全など)がないかまでを精査するようにしています。

また1週間のお風呂も入れる心電図(心電図の詳しく見る制約はあります)も、大病院と同じように「心房細動のアブレーション治療後」などにする検査も用意しています。

どちらも大事な検査ですが、きちんとみないといけない検査だと思っており、日々研鑽しております。

「寄り添う医療(看護・介護)を行う」と言うフレーズを見かけますが、イメージは湧くけどもどういったことをしてくれるのだろう、どうも具体的ではない、と思っていたので調べてみました。

言葉の定義では「体を寄せる。もたれかかる」と言う意味で、物理的に相手の近くにいる、ということになります。 英語だと、close upやsaddle (もしくはcuddle)ということになるのでしょうか。

私のイメージでは「気持ち的な部分で相手の近くにいる」だったので少し驚きました。 これを英語で表現するには長いフレーズが必要に感じましたが、emphathzeという一言でも良さそうです。

違和感を感じましたが、同時になるほど、とも思いました。 医療・看護・介護では、物理的にも、気持ち的にも 「寄り添う」のが重要なのだと。

特に症状が出ていない時の慢性疾患を持つ患者さんには時間的に患者さんの方の都合もあり、距離的・時間的な「寄り添い」の必要性は少ない場合が多く、症状が出ている場合は距離的・時間的な「寄り添い」が多く求められているように思います。そして必ず、気持ち的な「寄り添い」は必要でしょう。

私は医師なので、医療の知識、技術はもちろんですが、「寄り添う」医療を今後も考えながら毎日を過ごすようにしないといけないし、普段の立ち振る舞いも非常に重要だと同時に思います。

PS(postscript:追記) 時代的にはオンライン診療や、遠隔診療などが技術の進化とともに通常の診療に入って来ています。 これも重要なことだと思いますが、近くにいるという距離的な「寄り添う医療」はできないのが現状です(それすらも今後は解決するかもしれませんが)。 なので求められている距離感(患者さん側の気持ちに依存)、時間(どちらかというと医師側の問題点として挙げられるでしょうか)の「寄り添う医療」は努力や訓練で習得できるスキルのはずです。 性格もあると思いますが、その性格についての心理学者の本を読んでいると性格は「でた結果で決められる(ちょっと分かりませんでした笑 おそらく良い性格か悪い性格は結果で判断される、ということだと思います)」であると同時に、自分で判断する能力を持ち、医療者たる自覚と覚悟を持つことで、修正できるものであると思います。