疾患をもった患者さんには上記と同様か、より気をつけてほしいことがあります。

それは、三基(さんき)です。

1つ目の基ですが、「基礎疾患」のコントロールをよくしておくことです。 高血圧や糖尿病、肺の疾患ですね。 コロナが怖くて病院やクリニックに行かずに病気の進行があれば、より危険です。

2つ目の基ですが、「基地(自宅ですね)にいる、など基本にかえる」ということです。 家の数え方は様々ですが、基本売買されず、動かせないものの数え方は基です。 マンションや一軒家は売買されるので基では数えませんが。 また、油断が日本全国であるように思えます。 コロナウイルスはもう今後世界中で流行性の感染症となることはある程度わかっていたことでしたが、高齢者には(時に若年者にも)風邪というにはあまりにも致死率が高く、恐ろしいものです。 経済を回すことも大事なので、難しいところですがGo To事業はもうやめた方がいいでしょうね。

3つ目の基は、「基本の生活が変わった、医療では基本の診断・治療も」ということです。 2020年以降、コロナウイルスとともに生きて行かなくては行けないため、生活様式が変わったのは当然として、診断や治療も変わってきている、ということです。 PCRだけではなく、感度特異度も高い迅速キットも出てきました。 12時間かかるPCRよりも迅速キットなら15分で分かります。 またクリニックも動線を変えずに、昔ながらの診療所、病院は「危ない」と思ってもらっていいと思います。 国民全員が、意識せずとも時代に乗り遅れないような社会づくりが国には求められていると思います。

その内容がいい(自分なりに)と思ったものでも、聴講する側のレベル、また座長(TVでいうMCのことです)が勉強してこないなら、全く講演する意義が私にはありません。 私が言っていることに対する反応があまりにも手応えがないので、途中でやめようかと思ったくらいです笑 かなり分かりやすく、レントゲンの見方なども解説(普通はしません、当然のことなので)しながらしたのですが、、、 終わった後も、私が座長なら演題に対して、相当勉強するのですが、、、 非常に残念でした。
座長は質問をするだけでなく、聴講者がわからない部分を読み取り、まとめることも求められると私自身は思っています。

自分が座長をするときはそう言ったことをかなり気をつけるのですが、、、 聴講する側はいいとしても。 少しレベルが合わなかったようです。 私のほうが反省すべきことかもしれません。 ただ、レベルを下げることは私にはできません。 超重傷者をみていない現状では発想や着眼点で、大きな病院よりも優れた講演をしないといけないからです。

まず、本当に風邪(ウイルス性咽頭炎)なのかどうか不明です。 風邪(の症状)が最も難しい という格言もあります。
患者さんを見もしないで、「風邪は寝てればなおる」で処方をしない医師もいますが、ヤブ医者以下の医療関係者としてもかかりたくない医師です。
今現在、気管支炎になりかけなのか? また背景に心疾患があったり、血圧がかなり高かったりする場合は、その咳は心不全によるものかもしれませんし、喘息かもしれません。
最も悪い病気を考えながら、残ったものが風邪、という診断方法が最善かつ最高だと思っています。

経済を活性化させる、ということでは非常に重要だと思っています。

医療をしているものとしては、Go Toは絶対にコロナ感染者を増やすと思っています。

高知県は「Go To」を推奨する立場のようですが、規制を強めるなどしないと、連休もあるので「無策」だと思います。

連休はわかっていることなので、せめて「慎重な判断と行動をお願いする」と声明を出すべきだと思いますが、、、

以前から高知県はコロナに無頓着です。 民間に丸投げで、県ですることが少なすぎます。

今現在感染者が少ない、けども今後のことを考えて「県」の方針をリーダーシップをとってもらいたいと思います。

曖昧な表現で、何かあったら民間に、というのは良くないですね。

今回は留学中の話を。 私はフィラデルフィアにある Cardiovascular research center(直訳すると、心臓血管研究センター)に留学しました。 海外旅行は大学生の頃に安い宿で泊まったものでしたが、今思えば安全性を考えた方が良かったかな、と。 海外旅行に行くと私の友人がある程度英語ができるので羨ましく思っていました(その後彼はスペイン語を日本でマスターします、「世界で最も使われている言語だから」、と) 私も英語ペラペラになりたい。 しかしもう40歳手前、子供もいるし仕事をほったらかして語学留学なんぞできない、ということで、当時英語論文を「書く」時に困っていた基礎研究の部分を留学で学べば無駄にならないな、と考え子供の英語教育のためにも留学を決意しました、期限は1年間。さて、推薦書は徳島大学の教授が2人作ってくれて、まずは2人の推薦書、はクリア。問題はどこ、に留学するか、です。迷わず米国を選びましたが、それが募集をだしていたのが米国が多かったのと、漠然と「ロッキー」という映画が好きだったので、フィリー(フィラデルフィアのことを米国人はフィリーと呼びます。高知市のことですね、県はペンシルベニア州、です)に決定しました。 マウスを使う実験から、流行りのPCR検査、細胞を育ててウイルスに感染させる実験などです。

TAO(タオ)さんという中国人がいました。マウスの実験などは初歩で単純作業が多く、そこを通過しないとcell line(細胞班)にはなれません。 マウスを扱う部屋で遅くまで仕事をしているのは米国人ではいません。 彼らは15時には帰路につきます。 17時に帰宅するのが怖いこと、トラブルに巻き込まれることを知っているからです。 私は仕事が終わらないと帰れないな、と思い20時まで残っていたこともあります。 途中からそういう危険なことはやめるようにしましたが。 タオさんは2人きりになったときに話しかけて来ました。 「名前は?」「ヤマト フクダ です」「ヤマト(あまり愛称、ニックネームがつけられませんでした。しいていえば、住んでいたアパートの管理人から、ヤマー、と呼ばれていましたが) お前は日本にいつ帰るんだ?」「1年後です」「そうか、俺はここにいたい、中国に帰りたくない、永遠に(forever)」と。「フォエヴァー」という言葉はこの1回しか1年で聞きませんでした。日本ではGrayの曲でありますが、まさかタオさんから聞くとは思いませんでした。「公安に逮捕されるなら、家に隠してある青龍刀をもって家族と一緒に逃げるんだ。でないと逮捕されると殺されるからね」と。中国人の本音(全員がそうではないでしょうが)が聞けた瞬間でした。 ただタオさんは永住権をもっていません。 どうするのか尋ねたら、「米国人と結婚するんだ」と。 しかしお世辞にもタオさんは170cmもおそらく身長はなく、ずんぐりした体型で、イケメンとも思えません。1年以上マウスの研究ばかりさせられていることからもあまり優秀ではなかったのかもしれません。 連絡先は聞いていませんが、果たしてタオさんはどうなったのか?
米国もですが、中国はさらに治安が悪いのです。 日本は恵まれています。 今思えば、海外に住んだ、という経験は非常にいい財産であり、親父の夢でもあったので、私の代で実現した、とも言えます。 1年間、仕事をしないでもいい、という時間があればあなたはどうされますか?