Reviewする、つまり査読する、論文を。 人の論文に対し、投稿された雑誌から編集長を務める医師から査読者の医師2名が選ばれ名前を伏せられてそれぞれの考えでその論文を通すか、または通さない、しかしアドバイスを与える、という仕事である。仕事といってもお金をもらえるわけではなく、編集長にったり、編集部に属さないと名前は雑誌にクレジットされない。 中国などではreviewerは仕事は大変な肩書きで仕事を探す上で必ず面接でアピールする、と留学中に聞いたことがあります。 日本ではこの肩書きは非常に大変な割にしていても評価をあまりされない、と感じています。 私自身は日本心エコー図学会(英文です)とヨーローパ心エコー図学会のreviewerをしています(といっても最近は各雑誌から1年に1枚頼まれるかどうか、という感じです)。 最近、基礎医学の医学雑誌(かなり権威のある)からreviewをしてくれ、というメールが来ました。 留学中にラボがだした論文に私の名前がクレジットされていたから、私の普段の専門が基礎医学だと勘違いされたのかもしれません。 丁重に断らせていただきました。 面倒だから、ではなく、専門ではない分野の論文に対して査読する行為自体が気がひける、ということもあるし、単に私の実力不足(その分野の論文を直す)も考えてのことです。
開業後、毎年最低でも2枚の論文を英文で書き、インパクトファクター(雑誌の権威をあらわす数値です)が少しでもある雑誌に、と思っていましたが、なかなか通りません。 ただ開業医が知識や腕を維持する方法の一つが論文を書くこと、out putをすることだと思っている私は今後も論文を書くことが重要だと思っています。

昨日、漢方薬を扱う「ツムラ」の営業の方が来られました。 資料をもらいましたが、会社で発行しているものだとばかり思えるほど出来が良く、非常に使いやすいものでした。 仕事に対し熱心な方なので「まさか自分で作った訳ではないですよね?」と聞いたところ、「自分で作成したものです」と。
まさに「期待以上」のことです。こういう方がプロフェッショナルなど痛感いたしました。

製薬会社の営業の方をMR(medical representative)さんと一般的に医療界では呼びます。 MRさんは徐々にコロナ禍で訪問を断っているクリニック、病院があるなか、人数がへっています。 しかしこのような人はきっと今後のMRさんは必要だ、と思わせてくれる存在だと思います。

我々開業医(勤務医でもですが)はMRさんからいただく情報は非常に有益です。

他にも優秀な方が当院を担当してくれているので助かっています。

やはり、プロだな、と思う人とは本当に仕事がしやすい、と考える次第です。

院長の体調不良のため午前10時ころまでは診療にあたらせていただきますが、以後の時間帯は福田心臓・消化器内科の医師が診察にあたることになります。

大変急なことで申し訳ありません。

5/12の診察でまだお薬がある人は5/13以降に来院していただければ、と思います。

5/13以降については治療によっては、治療方法(外来処方か点滴か)によって

引き続き院長の外来は休み と なるかもしれません。

ご迷惑をおかけしてすみません。

放射線科の医師が救急外来で診察する、という病院で働いていたことがあります。放射線科の医師とは個人的に交流があり、普段外来診療をしていない放射線科医にどうやって救急外来をしているか聞いたところ、「腹痛の方がきたら、触診していつも読影しているCTを頭の中に構築するのです」とのことだった。 そういえば私も胸部の聴診をするときは心エコーが自然と頭の中で構築されます。 放射線科に出入りして読影を教えてもらうようになってからは胸部CTや腹部CT(腹部エコーよりも)や胃カメラ所見を想像していることに気づきました。

私の友人の放射線科医師の格言です。「レントゲンをみて、答え合わせをCT検査でするのは一般的とされているが、トレーニングが逆と思っている。 CT検査をみて、読影して、解答をしってからレントゲンをみてCTならどううつるか、がトレーニングの順番」とのことでした。 心エコー図検査はその性質上、先に聴診をすることになるのですが、「あわせて」検査に臨むことが重要と思います。 聴診所見がない心エコー図検査は検査の精度が落ちるからです。

実は医師はなりたい職業としては常に上位になりますが、自殺率も高いほど体力的・精神的ストレスがあります。ただそういったストレスを避ける働き方があります。そして実は給料も悪くないいい方法です。給料の話ですが、昔ほど勤務医と開業医の給料の差はありません。むしろ開業をするリスクの方が強い時代です。勤務医の方が給料がいい、という時代になっています。それでも開業するのは? 理由は持論ですが、親が開業医だから、か、当直業務に嫌気がさしたから、の2つが大きな理由だと思います。3位に、自分の医療を形にしたくて地域貢献をしたい、がありますが、上記2つと重なることが多い理由で単独の理由はない、と思います。1-3位すべてが当てはまる場合もあるし、純粋に3位のことだのこともあるかもしれません。

楽な医師の働き方は、医療スキルを身につけなくても実践できてしまいます。つまり医療政策で医師数を増やすのはナンセンスなのです。

開業医の院長業は相当な精神的ストレスがかかります。体力的にも実はストレスがあります。 勤務医時代には考えもつかなかった、という後輩医師がいますが、1日中外来業務で準緊急の案件などをかかえると外来もまわらず大変です。ここでいう開業医は病棟をもたないクリニックのことであり、大病院の院長などは相当なストレスだろうと思います。

勤務医も地域の基幹病院で働いていると法律違反の当直業務で体力的にも精神的にも追い詰められることがあります。医師をやめたり、うつ病になったりする人をみてきました。

では楽な方法とは? それは勤務医で夜間の呼び出しがなく、当直があっても寝当直といって呼び出しがなく十分な睡眠がとれる病院での勤務をしながら、バイト業をする方法と、バイト専門として働く方法です。 まずは体力的なストレスがありませんし、もちろん責任能力を問われることは少なく精神的なストレスもありません。 あるとしたら、将来バイトの医師の給料が下がることが予想されるストレスですが、あと10-20年はまず大丈夫でしょう。

最近は研修医の給料も良く、待遇もいいようで、マッチングで研修先を決めてから就職するので、いきなりキツイ医局に入局や、キツイ基幹病院に就職することがなくなっているようです。 専門医を楽にとれる病院を選び、専門医をとった瞬間にバイト医に転身する、というのが東京を中心として流行っているようです。

専門医制度がおかしい、と思っている私ですが、地域の基幹病院でしか取得できないようにしないと意味がない、と思っています。

あとは基幹病院の医師数を増やす政策をとらないと、その病院で医療スキルを磨きたくても教える側の医師が少なくなれば、負の連鎖になってしまうことが危惧されます。 高知市は基幹病院(大学病院含める)の医師が身を削って医療をしているので恵まれた市なのかもしれません。 ただこれからはわかりません。 医療政策は現場の意見を取り入れながら慎重におこなってほしいと切に願います。