医療が適切に行われているかどうかを査定する医師が数名いますが、専門分野が異なっている場合があります。 例えば、「高血圧の治療で薬が過剰にでている」ということで、保険請求したものを返金して、薬を減らせ、と言ってくる医師がいますが、ナンセンスです。 高血圧学会(私は学会員ですので質問ができます)の学術担当の医師からの、メールの回答をのせると、全く言ってこなくなります。 「一宮きずなクリニックの処方に全く問題ないことを証明します。 他のいろんな血圧の薬で副作用があり、血圧はどうやって下げたかよりも、どこまで下げたかが大事なので、現在の処方以外はありえません」という文章を査定される先生に送っています。 ここ数ヶ月の血圧とその時の薬を明記するように、と意味のないイジメのような文章があり、数ヶ月従っていましたが、患者さんにとっては、薬を減らすと血圧が160以上になるため、危険です。 それを杓子定規に当てはめて、個人個人の医療を行わせないようにする行為は、査定する先生も嫌で仕方なくしていると思うので同情はします。
さて、他のことでも、「自分の専門ではないから」といって、よろず屋であるはずの町医者で、なんと患者さんをみない、という行為をする医師がいます。 また、自身の医療技術のなさや、読みかじった医療本で「最近は当然だから」という医師もいます。

そういった医師は内科医ではありません。 大病院ではないのです。 私自身や自分の身内はかからないようにしたいと思いながら、自身も気をつけようと思っています。

「がん検査を疎かにしない、専門的循環器診療」に加えて、最近の動向をみて、「全人的な心臓リハビリテーションを含む、治療」を掲げています。

循環器内科は内科の中でも、癌がない(圧倒的にすくない)科です。 かかりつけ医が循環器内科であれば、癌から自分の身を守るためには癌検診をしないといけません。 心臓病にかかった人は、高確率でその後、癌が発症する、という発表(現在論文執筆中、おそらく世界初)をさせていただいています。

そのため、当院では食道や胃、膵臓・肝臓・胆のうを見るようにしています。 そのため、お待たせしてしまうことがあり、非常に申し訳なく思っています。

当院では、循環器疾患の発見もそうですが、癌の早期診断で大病院に紹介し、完治する方もおられます。

高知県では、内科と整形外科の2つのクリニック(・病院)をかかりつけ医にするか、内科だけの1つにするかが多い、というデータがあります。 多くの病院にかかることは患者さんの負担になると思います。 もちろん、患者様の意向が最も優先させる、という大前提で診療をしています。

医師は王道の診療をしないといけない。 間違っても、邪道な診療をしてはいけない。
自覚がある、王道のふりをした邪道は、みていて気持ちのいいものではない。

定期的に、口コミサイトにコンサルタントが書いている、医療者からみたら「嘘」だと一発でわかる星5つの内容。

私は心臓リハビリテーションにハマり、「なんて素晴らしい治療法なんだ!」と思い、2014年(ひょっとしたら現在も)は四国で唯一「和温療法」をしてもいい許可をもらっている医師です。

心リハを通じて、急性期最終拠点病院でいろんな経験をしました。 その経験は、例えば、離床時に左室内に血栓が出来ているかもしれない、という考えまでしていました。 その確率は相当低いのですが、数例経験するのと、しないのでは雲泥の差です。

慢性期しか経験しないとすれば、急性期の話はできないし、慢性期と思いきや、実は急性期として治療した場合があるいことも頭の中に常にいれておかなければなりません。。

賢い患者になるためには、その医師のモットーが、経験に基づいているかどうか、で判断できると思います。

答えは、カースト制度のあるインドでは、親の仕事を継がなくてはいけませんが、ITの分野は昔なかったので、カースト制度に含まれません。 そのためIT企業に就職するために勉強するため、です。
現在の日本では、学歴社会、となっていますが、それが問題視される場合もありますし、良い場合もあるでしょう。
医師になって、また、きずなクリニックの院長として思うことは、人には適材適所があるな、とより強く感じることです。 一生懸命頑張ろうとしている人を、いろんな理由があれ愚弄・罵倒する人は医療人と言うより社会人、いや人として失格だと思うので、私は一緒に働きたくありません、論外です。 次に人を慈しむ心がないと、医療人としては、自分自身や自分の身内がかかりたくないので、頭が良かったり、回転が良かったりしても、違う職業を選んで欲しいものです。 また、人の性にする人、責任感がない人も医療人としてどうかと思います。 しかし学歴社会である程度学業で優秀でないと務まらないのが医師という職業であることは否めません。 適性試験なども私が受験していた頃から始まり、今は多くの大学でしているようです。 その適性試験自体がまだまだのようで、あまり向いてない人がすり抜けているな、と感じることもありますし、大昔からするべきだったな、と感じることもあります。 親が医師ではなく、面接で「学歴を馬鹿にされ、医師になればそいつらを見返せるから」と言った人が受かったのにはびっくりしました。 この人、医者には向いてないでしょう。 私だけが感じることでしょうか? ハングリー精神があるから勉強して良い医者になると、面接官が思ったのか、paper試験の成績があまりにも良かったのか(ただそれなら適性試験の意味などないですね)

論文を書く際、どうしてもdiscusstion(考察)のところで上手く書けずに、良い雑誌にのらない、と思った私は基礎の知識や経験がないから、基礎論文を読んでもあまり頭に入ってないのでは? と思い、留学は臨床(基礎の方が行きやすい、というのはあるのですが)ではなく、基礎研究でと思い一時日本を離れました。

やはり思ったのは、「基礎分野は非常に大事」ということです。 何事も経験が大事、と思っている私にとっては、アンジオテンシンIIという物質が悪いから、ARBという降圧薬がいい、というのはピンと来てませんでしたが、実験のマウスで、自分でアンジオテンシンIIをポンプで埋め込んで、動脈硬化を生理食塩水を埋め込んだマウスと比べたり、腎臓の大きさ、心臓の大きさを比べると、「めちゃくちゃ悪い物質だ」とわかります。 そこで血管平滑筋細胞の増殖をノックアウトさせた遺伝子操作されたマウスを交配させ、同じ実験を行うと、有意差がでることも、自分の手で操作し、目で確認しました。
マウスのエコーは結構誰でも出来るようになるのですが、その解釈に、循環器内科である私以外は肥大か動きが悪くなる、という判断をしていたようですが、私自身は自分のために、血流パターンや心臓の筋肉の動きを解析していましたが、明らかに悪さをしているのがわかります。

私の私見ですが、0と1は全く違う。 1と10はそんなに変わらない。 1と千は雲泥の差である、と思います。 私の基礎研究がたとえ、1だとか10も行ってないレベルだとしても、最終の難しいレベルまで経験をしました。 これは大きな財産となっています。 患者さんに投薬するときに、「本に書いてあるから」という理由や、機序はこうなっているから、という座学で説明するのは誰でもできますが、実際の経験があると、投薬にこだわりがでてきます。

なかなか海外留学や、基礎研究だけに没頭する機会はないのが忙しい医師にはあると思いますが、留学して良かったな、と思えることでした。
ちなみに、当初は、心臓リハビリテーションの、臨床➕基礎研究での留学を希望していましたが、残念ながら面接や実績などで落ちてしまったことも記載しておきます。 しかし、生粋の基礎研究をしていれば、問題ないこともわかりました。