正月休みはないよ、とおっしゃっている患者さんもおられました。 お疲れ様です。

私は究極は、朝7時から11時くらいまで、と、夕方18時から21時の診療時間が良いのかなと思ったりもします。 もろもろの事情でそれは叶っていません。

また、月曜日が休診で、日曜日に診療しても良いのじゃないか、とも思います。

理由は単純で、自分が受診する側なら、そういう時間帯に診療してほしいな、と思うからです。

なぜそれを実践しないか、それにも理由はあります、が、東京などではそういったところもあるようです。

心臓の動きが悪くなった方は、サルコペニア(加齢を含む何らかの原因で筋力低下をきたす状態)になり、呼吸筋も悪くなっているため、息切れがひどくなるため、呼吸リハビリのガイドラインに沿ったリハビリを、心臓リハビリの特定の対象者に対して行うと、QOL(生活の質)がよくなる、という論文があります。 最近のものなので、「今後も検討が必要」となっています。 こういう理論・理屈があり、患者さんの同意をへて、臨床研究をする、というのが非常に大事で、大病院でしかできない、と思われがちですが、実はそう考えてしまったり、もともと臨床研究をしていなかったりすると、「持論」が持てません。 私は、サルコペニアや身体的フレイル(虚弱;フレイルには身体的以外に、社会的、精神的の3つがあり、サルコペニアは身体的フレイルに含まれるというのが今の流れです)の基準に、「握力」が用いられたことが非常に嬉しかったのを覚えています。 なぜなら、握力はそれまでの大腿四頭筋の強さよりも測定が簡便で再現性がある、ということから、私自身の論文に何度か握力(hand grip strength)はでてきます。 しかし、最近、当院では、InBodyという四肢・体幹部の筋肉量・脂肪量を測定できる機器があり、「握力が高くても、その上肢の筋力は低く、また全身の筋肉量は低い」、またその逆もある、という、「握力」が注目されていた、全身の筋肉量と相関する、というのは、ある一定の集団にしか通用しない気がしています。
あと、全く関係のないことですが、正月の特番のTVをたまたま見ていたら、メンタリストのDAIGOという方が、相手の性格などを見破る、というのをしていました。 この方をあまり知らなかったのですが、タネはなさそうに思います。 心理カウンセラーか、医師の免許を特別に許可しても良いのでは? と思うほどです。 メンタリスト、という新しい職業は色物ではなくどうも本物で、その考え方は教えられないオリジナルだとは思いますが、職業として成り立っているな、と思いました。

米山公啓という医師がいて、その方は医師というより作家活動を重視し、私が高校生の頃には面白い本を書いていました。 「医者は10年もすればみんな同じレベルになる」 「医者の365日」など名作が目白押し、、、だったのですが、だんだんと私が思うに、「チーム バチスタの栄光」を模倣したかのような、作風がガラッと変わったアクションミステリー(私はあとがきをみて、その本を買うかどうか決めます、ので読んでないのですが)を書き出した頃から面白くなくなってきました。 まず、「医者は10年もすれば同じになる」というのは間違い、と知りました。 これは、米山先生が神経内科で、だいぶ前の時代の医療において、という意味かもしれませんが、その時代でも、「そんなことはなかっただろう」と思います。 コンビニに、「なぜ医者は薬をたくさんだすのか」という、いわば最近流行りのアンチ医療本をだしていました。 内容もお粗末で、何が言いたいのかはっきりせず、1000円か2000円は忘れましたが、その価値はないな、と思いました。 ありのままを書くのが面白い医師作家だったのに、二匹目のドジョウを捕まえようとして、作風が変わり、ついには、安っぽい研修医も書かかないような本を出すようになってしまいました。 医師免許というものは更新もせず、生涯持てるのですが、この人はもう医師ではないので、「今はこういう仕事をして、困ったら紹介をしている」というような、ノンフィクションの本を書いて欲しいな、と いちファンとしては思います。

大晦日昼前に、本の監修をしてくださる先生(教授)からの速達での校正部位や、手直しをするところ、書き直すべきと思われた部位を書いたものが届いたのと、東京の編集をしている方とのやりとり、スライド作りなどで、年越し蕎麦を家族で食べた以外は、部屋からでずに、資料を見直しながら、power pointとwordとにらめっこしています。 リライトをしている方にエコーのことを質問されると、非常に本が良くなってくるな、と思います。 当たり前と思っていたことが、心臓エコーをしてない方からすると、当然当たり前ではないので、自分では気づけない部分があり、「あぁ、そこで、昔、私もつまづいたなぁ」と思いながら書いています。

今年も、そういった、まずは人を治す、ことよりも、なぜ困っているか、という根本的な部分を解消しないといけないな、と思いながらも、心臓の本を書いていると、避けて通れないのが、「病気と付き合っていかないといけない」という考えです。 医者はその付き合い方を、うまく伝えることも大事だと思っています。

今年も皆様にとって良い1年でありますよう、心から願っています。
(きづけば年を越していた感覚ですが、大きな病院ではこういうブログはないので、当時のことを書きますが、私は12/31の朝8:31から1/1の朝8:30まで24時間、内科当直をしたことがあります。 ちなみに、当直とは、睡眠時間が保たれる程度の院内患者への対応ができる状態、ですので、まずは外来をすることや、もちろん救急車がどんどんくることは、業務に入っていませんし、当直手当しかつきませんが、患者さんには知らされないことで、ただ当然で通常業務の外来、院内の対応、救急車の対応などをするわけです。 当然、それが丸一日間ですので、通常業務より忙しく、急変するような容体の方を、限られた人数(といっても内科は私しかいません)の休日の当直業務をすれば、次の日も入院した人の微量な点滴の滴下速度などを変えたり、人工呼吸器の設定を変えたりしなければなりません。 今でもそういう仕事を、同じ年でしている友人もいます。 昔みたいに、内科全般と循環器(カテ、エコーも責任者、心臓リハビリはセンター長))をしながら研究も、というなら、できないでしょうね。 循環器だけ、それも、エコー(かカテーテル治療)だけ、で、心臓リハビリは人任せで、循環器内科以外の内科は他人に任せ、研究はしない、という条件ならあれ以上過酷なことはなかったので、恐らく戻れるでしょうね(現状をしらないので、偉そうなことは言えませんが、当時のの香川の国立病院(現: 四国こどもとおとなの医療センター)は、医療崩壊が進み出した頃でしたので、残ったものとしてはかなり応えました(うつ病になった医師何人もいたり、早く禊をすませたい、という思いの医師も多かったくらいキツかった、と客観的にも言われていますが、私にとっては、その環境がベストでした。 ぬるい環境で5年いても、その5年は、人間としてのQOLは高くても医師の技術習得にはマイナスでしかないわけですから))。 私がそうしなかったのは、開業するのなら、そういう状態になってしまうと、循環器しか視えなくなってしまうのが「嫌だ」と思ったからです。 もちろん、最近のトレンドの開業は、「細かい特化した」開業です。 好みの問題なのです。

現在執筆中の「心臓超音波の医学書」について、上記のことを書くのが良さそうだ、との意見があり(以前のものと違い、初学書向けかつ、現在の私が教わったことまとめた、玄人が読んでも気づきがある、ちょっと工夫をこらした本です)、面白い、書き忘れていた、と思った次第でした。

例えば心雑音があったりや頸部の視診の異常所見があれば心エコー検査、心臓手術以外の外科の手術前の心機能をみる検査、緊急時の心筋梗塞のため(前後)の検査、その他、たくさんあり、例えば私は、患者さんからコストをとらず、当然、保険請求もせずに心エコー検査をすることがあります。 それは、利尿薬を減量するときや、逆に増量しないといけないときに、心エコー検査は非常に有用だからです。 また、世界で唯一、心臓リハビリの有酸素運動の心拍数決定に心エコー検査を参考にすることが当院の心エコー機器には自動的に算出されるようになっています。
私は、心エコー検査をするときは、出来るだけ、他の検査、心電図、レントゲン、CT検査、採血検査を参考にします。 以前のエコー検査だけを参考にしている、医師、技師がいたので、理由を聞くと、エコーをした後、その所見をあわせてみるのは外来をしている医師の仕事では?、や、所見は後から見て自分の心エコーが正しかったかどうかを判断する、という意見がありました。 私も以前はそう考えていたのですが、実はこれは全くのナンセンスです。 心エコー検査は、検査前に出来るだけ他の検査の情報を仕入れておいて、検査をしないと、異常所見を見逃す可能性があるからです。 例えば、通常のCT検査でも、貧血があるかどうかはちょっと放射線科をかじっていればすぐにわかるので、貧血心の可能性を念頭におけますし、最近の報告された内容ですが、冠動脈の石灰化が普通に見えるで、狭心症の可能性を念頭において検査をすることが、言われ出してきました。
医師がどんなことを考えて、検査をするのか、一般の人が読んでも、医師がたとえ専門用語で説明をしても分かるように、かいています。 もちろん、医療従事者向けの本ですが、薬剤師の方はもちろん、医療を「うけている方」でも、「なるほど」と思う部分があるような本にしたいと思いながら、クリニックは休みですが、私自身は仕事をしています。 医師にとって、正月などの休暇は論文を書いたり、こういった普段まとめてできない仕事をするチャンスだと私は考えていますし、もちろん気分をリフレッシュすることも大事ですが、職業柄、身についた習慣です。 遊んでばかりの医師は私の周囲では見たことがないのでいい刺激になっています。