一時期(今も一部では)、「投薬」は、患者さんに薬を投げる、「投棄」のようなイメージで、失礼にあたる、と言う先生もいました。 そこで「与薬」と言う言葉がいい、となった時期があります。
しかし、私は「投薬」は悪い言葉ではないと思います。 「投票」のように、「投(な)げる」イメージではなく、「投(とう)ずる」と考えれば、患者さんの病気に対して、立ち向かう積極的な治療姿勢だと思います。
「投ずる」とき、医者がピッチャーだとしたら、病気がバッターだとすると、そのバッターの弱点をしっておかないといけません。 医師の「知識量」が投球スピードで、「経験」がコントロールだと思います(分かりにくい表現ですね、すみません) 「医師自身の解析結果」や、「患者さんの背景を知ること」は良い変化球を投げることができることにつながると思います。
患者さんの置かれている生活状況もしらず(聞かず)、経験もしたことがない、となれば、本や研究会への出席だけの「知識量」だけとなります。 いくら球が速くてもノーコン・ピッチャーでは、病気を三振にはうちとれません。 押し出し四球で、じわじわと患者さんの病気が悪くなってしまうと懸念します。
例えば、糖尿病の治療薬を「投薬」するとき、薬の知識は当然もっていて、経験も豊富で、自身がその薬の解析を行っていて、さらに、どういった食事携帯なのか、などをしっていると、朝昼夕の3回の薬は難しい、とわかり、教科書通りの直球だけでなく、朝夕、もしくは夕だけ、朝だけ、などの変化球も使えるわけです。 心臓リハビリテーションを「経験」し、「自身の解析」をしていると、運動処方を、「無理のない程度に」とだけではなく、大きな機械をつかわなくても、具体的に「脈拍110回の運動を、20分」と言えるようになります。