私が徳島大学の第二内科(今は循環器内科と消化器内科に別れています)で習った紹介状の書き方は、それはそれは厳しいものでした。 今はそれが守れておらず、初心にかえらなくてはいけないな、と思っています。
安楽椅子探偵、という推理小説があります。 話を聞いただけで、現場にいかず、推理だけで犯人を特定する、というジャンルです。
医療において安楽椅子医師は、絶対に存在しない、と私は思っています。 ある程度の推理はできても、病気の特定は患者さんを診ないと特定できない、と思っていますし、そういう教育を「厳しく」京都日赤、徳島大学病院、四国こどもとおとなの医療センター、また留学先のマウスにいたるまでされてきました。
日本も訴訟されるような事例が増え、萎縮医療になっていた時期もありますし、今もそれは続いているでしょう。 しかし、今はそれを通り越して安楽椅子医師が増えているような気がします。
調べてみないと分からない、という状況のなか、患者さんやその家族の立場にたつと、「一旦診ないとわからない」と思う次第です。 また、入院に関してですが、カンファレンスで「入院させなかった理由」が必要な病院でしか働いたことが、私はありません。 患者さんがどうしても帰る、ということや、あきらかなコンビニ受診などは除いて、です。 理由なく、初診が救急だった心房細動の患者さんを帰した上司には、カルテが頭に投げつけられていました。 このようなパワハラ的な行為、さらにいえば、カルテを投げる行為(私はカルテは患者さんそのもの、だと思っているので、紙カルテを投げて渡す看護師に注意しましたが無駄でした、個性、なのでしょう、時間帯を一緒に働くことを看護師の上司に言ってやめてもらうようにしたら自然とやめていきました)などは現代では、行き過ぎかもしれません。 しかし厳しい上司こそ、自分を伸ばしてくれる医師です。
さらに言えば、私は著書に書いていますが、「厳格な上司の医師が困っている症例ほど勉強になる症例はない。 その場で自分の意見も言えるように勉強して、どうやってその場を切り抜けるか」が一番の経験です。
たんに患者さんを診た、だけでは、経験0です。