で働いていました。 私としてはそれ以上の、集中治療室の患者さんがどれくらいいるか、などの重症度も載せて欲しかったのですが、、、
私自身は、自分の循環器と内科の外来以外で、入院をみない院長や部長の患者さんの入院、循環器か内科か迷う場合は私に、という暗黙の了解があったので、2年目から2位になりました。平均で600人以上は年間で診ていました。 内科枠では3位の300人を大きく引き離していました(ちなみに1位は700人というぶっちぎりの先生がいましたが、慢性期の患者さんが入退院を繰り返す、という状態だったので、実質「ガチ」の入院患者さん担当数は、自分が多かったと思います) 予定のカテ入院の人もいましたが、1/3くらいだったと思います。 当直も月に7回していました。 6回だと少ない、8回だと多いな、という感覚です。 自分がトップになる時は医療崩壊によって医師が60人から30人くらいになっていたと思います。 さすがに最後の1年は「最終拠点病院」とは言えないな、と自分ながら情けなく思っていました。 カテーテル治療ができる医師が2人まで減った時は、学会へもいけないし、自分の知識を増やすこともできません。 病院自体が負の循環にはまっていたと思います。 古い建物から新しい建物に、名前も医療センターとなり、心臓リハビリテーション室の設計図を書いたりはしていましたが、中身(人間)が変わらないと、外観が変わってもあまり意味はないだろうな、と思いながら、予定の2年間から5年に大幅にのびた徳島大学からの出向期間に終止符をうつことになりました。
私の枠で5年以上いた人は私の徳島大学の上司以外にいません。 だいたい香川県が出身という人が少ないので、徳島県内や高知市内への出向を希望するのですが、私にとっては2年ごと色んな病院を回るよりは、良い経験にはなりました。 別に事情が許せば残ることも可能でしたし、ここまできたら、意地でも師匠の定年と同時に移動するか、言い続けていた海外留学が叶うまでは残るつもりでした。
ちなみに、私が出向する前、出向中、後に知っているだけでも3人はうつ病に医師がなっています(そのうち一人は今も入院中だと聞きます) 原因は、、、疲れからでしょうね。 明らかに。 良い人ほどうつ病になりやすいんだと思います。 善通寺病院で5年間入れた理由は良い上司に恵まれたのと、他科の先生と仲良くしていたから、に尽きると思います。
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