留学時、中国人のタオさんに聞いたところ、中国では論文の査読をしていることは大変名誉なことなので、自分を売るときにセールスポイントにする、ということでした。
日本ではそんな文化はなく、私はこの雑誌の査読者です、というのはあまり言わない文化があります。 理由は不明ですが、奥ゆかしい文化なのでしょうか? あとは恨まれるのを恐れているのか、などでしょうか(誰がどの論文を査読しているかはわからないシステムになっているので、今はおそらく言うことが悪い、とはなっていないようです)
私自身は、日本心エコー図学会誌(英文です)と、ヨーロッパ心エコー図学会の査読を2011年からしています。 多い時で1年に3枚の論文を査読することがあります。今は2年に1枚くらいでしょうか。
最近、査読の話があり(メールできます)引き受けたのですが、失礼ながらあまりにも稚拙な内容で訳がわからない内容(結局何が言いたいのかわからず、すでに証明されていることでした)だったので、問題点や句読点(, や .のミス)の間違い(こういうのを間違うのは雑誌に対して失礼なので、自分も間違えないようにしています)reject(論文掲載には値しない)という評価を下しました。 もう一人(通常査読は2人でします、もう一人が誰かもわかりません)もおそらくそういう判断になると思います。major revision (大きく直せば掲載に値する)、minor revision(少し直せば掲載に値する)という評価が主ですが、一発でaccept(掲載!)ということはまずありません。 凄くえらい学者でも100枚だして1枚がそのまま通るということを聞いたことがあります。
※論文の査読:雑誌の編集長が、編集者に対して、論文の間違いや問題点を指摘する査読者を選び、査読者に選ばれた人は、当該論文を熟読し、多くは10日程度で編集者に送り返す作業のことです。 自分が今書いている論文と似ている場合は、パクリ、と思われるのが嫌で断ってもいいし(断るべきです)、自分の得意な範囲外であれば断ることもできます。 ちなみにあまり断っていると数年査読の話が来なくなります。